SEMラボラトリーの社長ブログ

大阪でSEO対策(検索エンジン最適化)をしています。Movable typeからWordpressに変えた新ブログです。SEOと柔道が三度の飯より好きです。マイペースに更新しています。

SEO対策(検索エンジン最適化)のSEMラボラトリー社長ブログ

ぼくが IT 業界に足を踏み入れた理由とその原点(モバイル広告代理店編・前篇)

   

緊張する新人営業マン

当ブログへアクセスをありがとうございます。

今回は前回の記事・警備会社編に引き続き、モバイル広告代理店編ということで書き進めていこうと思います。

と、その前に・・・

何度か頂いた質問

前回の記事は思った以上に見て頂けたようでした。
ありがとうございます。
facebook からのアクセスが多く、やはり色々と気になられてた方もいたんだなと感じました。

記事を公開してからたった数日のことでしたが、前回の記事のことで色んな方と話をし色々な質問を頂きました。
そのなかで「警備会社を辞めてから大阪(地元)に戻る選択肢はなかったのか?」を何度か聞かれました。
その件についてだけ先に触れておきたいと思います。

まず、大阪(地元)に戻る選択肢ですが、住むところに執着はなかったので戻らなかっただけ・・・というか、働かない期間をつくるわけにはいかない・・・と思っただけなので、転職前に大阪に戻って職探し・・・というよりは、そのままで職探しがはじまったような感じでした。

高校は宮崎、大学は奈良、就職は東京という感じで住むところが変わってきましたので、別に地元に戻りたいという執着はなく、どこでもいいやくらいな感じでした。
今もですが、別に大阪以外の都道府県に引っ越ししても、なんら問題はないと思っています。
それどころか、どこかのタイミングで海外にも住んでみたいなぁ・・・と思ってたりします。

何から話を進めていいか分からないくらいに全てが変わった転職

面接の場で「 Yes 」を頂いてからすぐに住む場所を決め次の準備をしたわけですが、何から話をしていいのか分からないくらいに生活が変わりました。

この転職で町田から世田谷の上用賀に引っ越しをしました。
2004 年 11 月頃だったと思います。
会社が恵比寿だったので、近場を選んだ感じでした。
恵比寿にあるモバイル広告代理店であ行からはじまる会社名・・・色々割れそうな気がしますが、そこは気にせずすすめたいと思います。笑

まず、会社に対するイメージが変わりました。
会社と言えば、そこそこの年配の方がいて若手がいて・・・と思ってたんですが、若手しかいませんでした。
当時、社長の年齢が30代半ばくらいで、社員の平均年齢が20代・・・びっくりしました。
そして、ベンチャーというモノを知りました。
” IT ベンチャーへの入社”という意識を持ってなかったせいか、電話をしながら携帯を触ってる上司や先輩、パソコンと携帯を交互に見る上司や先輩を見て違和感を覚えました。
しかし、今いる場所はモバイル広告代理店、携帯を触ってナンボなので至極当然の風景です。

そんな状態で入社初日を迎えた感じでして、入社 1 週間経つ頃には自分が自分だとは思えないような状態・環境だったと記憶しています。
ふわふわした状況で今までの経験が通用しなくて、思考が全く追いつかなかったと言いますか・・・それくらい何かが変わりました。

業務の内容で言えば、テレアポ、広告枠の提案、媒体バイイング(広告媒体の買い付け)、流行りのチェック、資料作成、見積もり作成がメインだった気がします。
当時はまだ i-mode が主流でしたので、 i-mode で展開されていたサービスは徹底的に触りました。

そんな感じで営業マンとしての日々がはじまります。
辛く楽しく、世の全てを知るかのような、そんな感覚で毎日新しいことを憶えていく営業マン生活が始まりました。

成績を出せず、おまけにマナー知らずで怒られ続ける日々

毎日毎日、怒られました。
申し訳ないくらいにデキが悪かったので仕方ありません・・・と自ら思える程に怒られまくりました。

酒の場での失敗も数知れず・・・とは言いませんが、社長に連れていって頂いた酒の場、取引先の役員の方に連れて行って頂いた酒の場、上司との酒の場、とにかく失敗ばかりだった気がします。

正直なところ、入社半年程してからが一番ツラくて若干のウツだと思えるような状態だった気がします。笑

営業成績に関して言えば、最初の半年と数ヶ月は最低だったと思います。
入社して暫くして(時期は忘れました)、営業ロープレ大会が開催されたんですが、最低の成績でした・・・。orz
何というか、凄く悔しかったことを憶えています。
すぐに別部署の先輩に営業ロープレに付き合って頂くお願いをし、慣れるまでの数か月はずっと始業前に付き合って頂きました。
朝練というやつでしょうか、迷惑かけまくりでした。。orz

その後、色々あって・・・徐々に伸び始めます。
具体的な数字や成績の明言は避けたいと思いますが、とにかく伸びました。

きっかけは色々ありました。
その中で最も大きなきっかけとして憶えているのは、 2ch との出会いだった気がします。
これはぼくにとって、凄く大きなモノとなりました。
今現在においても様々なサービスを触っています。
が、これだけの感動を憶えたことはありません。
それくらいに大きな衝撃がありました。

人生初めての 2ch とその世界観の壮大さ

2ch を知ったきっかけは、媒体として取り扱っていて媒体資料を見たからでした。
人生初の 2ch と言うのも変な表現ですが、初めて 2ch を知った時、一つの王国を見た気がしました。

顔文字や AA のようなネット文化が流行り始めてて、アングラというキーワードの注目度が急激に上がってきてた頃でした。
書き込み内容はアホらしいというか・・・そこにはハマらず、まとめサイトを見るにとどまる程でした。

しかし、媒体資料を見てびっくりすることになります。
媒体資料を見た限りですが、当時、 Yahoo japan の pv (ページの開かれる回数)よりも 2ch の pv の方が多かったというのが衝撃でした。
※ 2ch に関しては、当時、相当数のサーバーがありその監視所が pv 数(厳密にはリクエスト数だったかもしれません)を公開していました。そして、 yahoo japan に関しては媒体資料がありました。ただ、数字は 2ch が多かったというところです。

その頃、2005 年の 7 月に「電車男」がドラマで放映されました。
その影響もあって 2ch がとんでもない勢いで伸びました。
当時、無名だった海外の動画共有サイトに、タイムリーで日本のドラマがアップされていたので、電車男をそれで見ることになります。
今は閉鎖されたサイトですが、 youtube と同じようなサービスです。
※サイト名は忘れてしまいました。汗

たった一つの、ある日突然降って湧いてきたような WEB サイトが世界を楽しませるような価値観をつくったというのが、ぼくにとっては凄く衝撃的なことでした。

それらのことがあり、 2ch に関係ありそうなサイトの運営者の方々にバイイングのアポイントをとって媒体とさせて頂くお願いにまわりました。
そして、それらのアポイントをこなすうちに、自分でもそういうサイトを持ってみたいと思うようになったんですね。

2ch のようなサイトを持つ方々の世界観というのは、少なくとも常識的なモノではありませんでした。
トンガリまくってると言いますか、”日本国内にある別の国”とでも言うのが適切なのか、それくらいに変わった世界観で、どこまでも可能性を秘めた壮大さがそこにあると感じました。
憧れであったり、羨みであったり、色々な感情がポジティブに生まれてました。

そこから、その人たちの価値観に触れることを目標に、技術的なことを少しずつ取り組みはじめました。
この時こそ、今まで触れたことがなかったような技術に触れ始めるきっかけが生まれた瞬間だったと思っています。
人生の曲がり角・・・と言うと言い過ぎかもしれませんが、それくらいの舵切りをしたような気分でした。

長くなりすぎまして・・・

そんなこんなで色々なことに触れていくんですが、話が長くなりすぎましたので一旦切らせて頂きます、すみません。

次の話も凡そ出来てきているんですが、何せ長い話ですので、モバイル広告代理店編は何度かに分けさせて頂きます。

ぼくにとっての原点、一言では語れない程に色々ありました(と思います)。笑

そんな感じですので、次回をお楽しみに頂けると幸いです。

 - その他