SEMラボラトリーの社長ブログ

大阪でSEO対策(検索エンジン最適化)をしています。Movable typeからWordpressに変えた新ブログです。SEOと柔道が三度の飯より好きです。マイペースに更新しています。

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ぼくが IT 業界に足を踏み入れた理由とその原点(モバイル広告代理店編・後篇)

   

スマホとpcでチェック

当ブログへアクセスをありがとうございます。

今回は前回の記事・モバイル広告代理店編・前篇に引き続き、モバイル広告代理店編・後編ということで書き進めていこうと思います。

経理の方に申し出て購入したパソコン

この 2ch と出会った時期と同じ時期に、新たにパソコンを購入することになります。
dell のデスクトップ、 Intel Core 2 Duo の 50GB くらいのパソコンでした。
メモリは後から増設して 1GB だったと思います。
スペックを超えたメモリだったので、色々ありました。笑
余談ですが、このパソコンは独立して半年程まで使うことになります。
ファン(冷却用の扇風機)の音、本体の熱、限界まで使いました。

入社して最初の 6 月頃だったと思うんですが、寸志が出ました。
そのお金でパソコンを購入することにしました。

この時、満足出来るような成果が出なかったので、家でもサービスを見まくったり資料を作る練習をしたりオフィスソフトを軽く扱うことが出来る程に練習する必要(?)がありました。
その頃には、土曜も日曜も会社に行ってました。

それまで使っていたノートパソコンにはパワーポイントがなく、卒論用の低スペックでしたので、何が出来るという状態ではありませんでした。
CPU が Celeron の中型くらいだったので、結構キツかった感じでした。
会社のパソコンは凄く使いやすかったので、同じくらいのスペックのパソコンが必要だと思い、寸志が出てすぐ同じタイプのパソコンを経理の方にお願いしました。
足りないお金を後から持って行き、自分で資料をつくったりあれこれ出来るようになるための勉強用のパソコンを用意し、ネット回線の契約のために電気屋さんに行きました。

昔のメールを見てみたんですが、 2005 年の 7 月に購入してた感じです。
懐かしいメールがたくさんありました。笑
因みにですが、この時から受信しているメールは全て残っています。
忘れたくないことが多いこと、忘れてはいけない(と思う)ことが多いこと、この 2 点が古いメールを削除してない理由です。

2ch との出会い、そして新しいパソコン、これで思ってた勉強(?)が出来る環境が整い、技術を憶えることなります。
サーバーやドメインにはじまり、 html のようなマークアップ、ドローソフト(ペイントソフトのようなソフト)、プログラムなどなど、サイトを構築するために必要なモノを全て独学で勉強しはじめました。
この時から始めた勉強こそ、今の礎となり今のビジネスに結びつくことになるんですが、それはまた別の機会に。

html に初めて触れて・・・

今の今まで勉強という勉強をしたことがありませんでしたが、無料レンタルサーバーを借り html を書き始めたこと、これらのことに自分自身の無限大の可能性を感じました。笑
いや、今だから笑えますが、当時は必至だったので・・・。

憶えた順を書くとすれば、

サーバー・ドメイン → html → perl・php → css → ドローソフト( pictbear )

だと思います。

・ドメインって何だ?サーバーって何だ?
→レンタルサーバーがあることを知る。レンタルサーバーにはドメインが勝手についてくる。そして有料のサーバーやドメインを使うと自由度がかなり広がる。 ip や dns がポイント。正直、 ip と dns については、まだ曖昧状態でした。

・レンタルサーバーサイトのヘルプに ftp になるモノとメモ帳で書く html があることを知る。
→ヘルプに書かれている通りにして、html辞典というサイトを見ながら html を憶える。

・2ch のような掲示板をつくりたかったので、プログラムを調べる。
→ 2ch は perl で書かれていることを知る。ついでに php が出てくる。この時はまだ perl が主流。

・細かいデザインを整えるための手段を探す。 css に出会う。
→この時はまだ css もバグが多かったので、ペイントソフトで補完しようとする。ただ、ペイントソフトでは限界があり、ドローソフトに出会う。初めてのドローソフトは pictbear 。

という順番で憶えていきました。
3 ヶ月経つ頃には一通り出来るようになり、 0ch という掲示板スクリプトに出会いました。
これで掲示板の基礎・・・というかプログラムの基礎を改めて知ることになり、ここから怒涛の勢いでサイトを作りまくりました。
因みにですが、この頃から年間 15 万ちょっとの費用が出ていくことになります。
給料はそこまで残る状態ではなかったので、カツカツの中でやりくりしてました。笑
夏と冬のボーナス時期に併せてサーバーとドメインを借りたモノですので、今もその時期になるとため息が出ます。
アイタタタ・・・。

元々の目的は、 2ch のようなサイトを運営している方々の価値観に触れることだったわけですが、半年も経たずに価値観に触れることが出来た気がしました。
これがあったせいか、界隈の方々とより深くやり取りが出来るようになり、掲載料金についてはだいぶと自由を利かせてもらえた気がします。
これは営業をするうえでだいぶと助かりました。
今もたまにやり取りをしていまして、相変わらず刺激になっています。笑

そして、その延長で営業成績を伸ばすために、媒体なるサイトをつくりまくりました。
この件について、今となっては当時の社長や上長と笑って話せますが、当時は怒られたりするんじゃないかと色々勘ぐってしまい、話すことが出来ませんでした。
通常の媒体に加え、自身で無料の広告媒体を持つわけです。
そりゃ反則というやつです。

でも、この時の快感ときたら・・・筆舌に尽くしがたい想いでした。
余談ですが、この時、いつも怒られてばかりいた総務(営業サポート)のスーパーリーダーに褒めて頂いたことがありました。
数字が伸びる一方でミスがなくなっていたのです。

「あれ?清水君、今月ミスがないよね。珍しい。」

に始まり、徐々にそれが普通化していくまで、皆さんに口々に言って頂いたことでした。
マークアップやプログラムの記述はかなり細かいです。
プログラムに至っては一字違うだけでエラーが出ます。
そういう諸々に配慮し、毎日通常業務に加えて深夜の 0 時を過ぎてからの勉強は、自身の能力を飛躍的に上昇させるには十分なことだったと思います。
そんなことがあり、ミスが劇的に減ったという話です。

そんなこんなで確実に次のステップに進んでいきます。

サイトをつくり、ネットワークをつくり、次の集客口として出てきたのが検索エンジンでした。
yahoo モバイル、 google モバイル、 msn モバイル、 ca サーチ、 crooz 、 くちこみネットや iyapoo のようなガラケーの検索エンジン、マーズフラッグやサグールのようなちょっと変わった検索エンジン、その他、海外系検索エンジン、今はもう閉鎖している検索エンジンが多いですが、当時は色々ありました。
勉強のさなか、広告の見せ方やキャッチ、検索エンジンとの付き合いは切っても切れない関係がありました。
そこから seo に対する勉強がはじまりました。

検索エンジンとの付き合いと新たな可能性

2005 年の年末頃にはもう検索エンジンと付き合いを開始していました。
当時の検索アルゴリズムやリスティング広告は今ほどロジックが整っているわけではありませんでした。
キーワードの詰め込みやネットワークのリンクを使えばすぐに順位が上がったんですね。
検索結果連動広告(現・リスティング広告)の配信量は、まだまだ(消化数が)少ない感じだったと記憶しています。

そんな感じであれこれしてると、ぼく自身のサイトのユーザー数がどんどん増えていきました。
特に yahoo 、この時はまだ google の認知度は低かったです。

言い方が悪くなりますが、この時、ぶっちゃけ広告のことなんてどうでも良くなってました。
数字がどうでもいいという話ではなく、広告がどうでもいいと考えました。
どう言ったらいいのかな、検索エンジンを活用することで媒体の可能性なんてのはどれだけでも高められると思ったからだった気がします。
入社して 1 年と数ヶ月というところでした。

バイイングや新たな広告枠の提案は楽しく感じてましたが、それ以上に自分自身でサイトやページをつくることを楽しく感じそこからの伸びが嬉しくて、もはや、営業マンとしての姿勢がそこにはなかった気がします。
既にサイトを成長させることばかりを考えていたことを考えると、営業マンとしては失格だったのかなと思います。
1 年と半年以上経った 2006 年の盆休み頃には・・・何というか、自分にとってのマーケティングが出来はじめていました。
厳密に言えば、自分にとってのマーケティングが出来てきたというより、ネットのマーケティングは形をどんどん変えていくということに気がついたという方が適切なのかもしれません。
兎角、そんなことを思いました。

検索エンジンを活用したマーケティングというモノはそれ以前からあったとは思いますが、それとはまた違ったマーケティングです。
ただ、検索エンジンを利用したマーケティングにしても、かなり歴史が浅くそれらの概念もあってないようなモノだったと思います。

今でもテストサイトはその時事にあわせたエンタメ系のサイトにしています。
これには意味がありますが、細かいことは割愛させて頂くとして、、、実用的なサイトではなかなか取得できない数字を見ることが出来るからエンタメ系のサイトをテストサイトにしている感じです。

代理店を卒業?

そんな感じでしたので、次のステップとしてアフィリエイターとしての道が見えてきます。
自分自身で媒体をつくり実務の補填対応としてサイトを運営するわけですが、こうなると別に補填でなくてもよくなってきます・・・と言うと言い過ぎなんですが、これから先の技術の発展などを考えると、単なる媒体サイトがもっともっと違う何かに形が変わる気がしていました。
検索エンジンや当時流行り始めていた mixi のようなサービスなどなど、これからまだまだ形が変わることを予感しました。

2006 年 11 月頃に辞表を提出することなります。

カッコよく言えば次のステージが見えてきた・・・というか、そんな綺麗なモノではありませんが、当時はまだあまり普及してないようなことをやりたくなってたので、それがしたいがために辞表を提出した感じです。
そして(当時の役員や社長には話をさせて頂いたんですが、)この時、小学 3 年の頃から飼ってたネコがそろそろかな・・・と思える程に高齢だったので、最後くらいは・・・という想いがあり大阪に戻ることを決めました。

自分でこんなことを言うのもアレですが、悉く勝手なことをしたな・・・と思っています。

そんなこんなで大阪に戻りました。
厳密にいえば 2007 年の 2 月か 3 月頃だったと思います。
16 になる歳に大阪を出て 27 の歳になって戻ってきました。

大阪に戻ってからのことはWEBサイト制作会社編で

そんな感じでモバイル広告代理店を去り大阪に戻りました。
戻ってから 2 ヶ月後くらいに転職活動をしたんですが・・・その時の話はまた次のWEBサイト制作会社編で書こうと思います。

ネタバレというわけではありませんが、サラッとだけ・・・。

WEBサイト制作会社で営業をしてた時は、そこまで困ったことやしんどかったことはありませんでした・・・って色々ありましたけど、やってやれないことはなかったという感じでした。
数字も上がりましたし、デザイナーさんやプログラマーさんの話もたくさん聞けましたし、無茶な目標(笑)もありませんでしたし、夜の 19 時過ぎにはオフィスには誰もいませんでしたし。

ただ、大阪の商習慣には驚きました。
色々驚きました。
初めて一般的な古くからある業種の企業様と取引をすることになるわけですが、ここではまた違った勉強をさせて頂いたと思っています。

次回のWEBサイト制作会社編では、その部分を中心に内容を書こうと思います。
この辺りの話になるとぼくの原点という話ではないんですが、やはり学んだことがありましたので・・・。

原点

たった 2 年の間に色々な経験をさせてもらいました。
今の礎となるモノは間違いなくここで磨かれたと思っています。

入社してから退職する頃にはもう別人だったと、自分自身感じました。
これまでのことをサラッと書きましたが、本音を言わせて頂くとすれば実にしんどい期間でした。^^;
しかし、あの期間があったから今があると間違いなく言えると思います。

警備会社にいた時も含めて、東京にいた間、日本武道館でやってた柔道の試合は毎年見に行ってました。
でも、学生の頃の先生や先輩や後輩の前に堂々と顔を出すことはしていなかった気がします。
たまたますれ違ったりすることはあっても、そこで盛り上がってその夜に飲みに行くということなどはしていませんでした。
何せこういう状況だったので、飲みに行くことイコール過去に逃げてるという気になってました。
試合が終わったらそのまま仕事でした。

代理店にいた時、社内で柔道の話はほとんどしなかったと思います。
たまに冗談交じりでは話をしたかもしれませんが、ぼくから柔道の試合の話をするようなことはなかったと思います。
社内でそれを言ってしまうと、デキの悪さを柔道でカバーしようとするような姑息な気がしたためです。
他意はなく、真剣にそんなことを思ってました。

先の記事にも書きましたが、柔道をしてた時の旧知の先生・先輩・同期・後輩の前で仕事のことを深く話すことはなかったと思います。
聞かれても表面的なことしか答えなかったので、よく分からないと思われた方が多いと思います。
お酒を飲んだ時とかに、話のネタ程度にはあれこれ話をしたかもしれませんが、今やってることにしてもそこまで深く話をすることはなかったと思います。
別に話したくないわけではありませんでしたが、一度話し出すと止まらない気がしてたので、極力避けてました。
ここに書いた通りなんですが、なんか色々考えてしまい話をするタイミングを無くしてた感じでした。

自分本位な話ばかりで誠に申し訳なく思うことばかりですが、今があるのは間違いなくこの原点があるからだと改めて思っています。
「清水はあれで良かった」と言って頂けるようにこれからもやっていきたいなと思っています。

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